2017.6月号でめでたく500号を迎えることができました。
皆様に購読していただき、なんとか頑張ってまいりました。
皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。
創刊当時は印刷費の支払いもなかなか厳しい状態がつづいたと
桂雪からも聞かされておりました。
43年間で玄游も少しずつですが規模が大きくなってゆき
今日に至っております。
これからも内容のある誌面づくりに努めてまいります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
さいごに桂雪が創刊した折に書いた玄游誌をつくった趣旨を紹介いたします。
創刊にあたって思うことは・・・雑草のようなもの・・・・
矢田 桂雪
花展に観る花は華々しい。室内の花は心休まる。道端の草花にふと目をやるとき
何となく微笑ましく、どうしようもない気持ちになる。私はそういう雑草のよう
な草花が好き。・・・・・・土がほしい、水がほしい、なんでも懸命に自分の
力で自分のものにするあの生命力、だれの力も借りず、この地球上に何の
飾り気もなく永遠と生きている姿を無性に美しいと思う。
菊一輪の美しさもあるが、人間によって良質の土や水、そのうえ肥料まで与え
風雨から守られながら生かされた花、そこにはもはや花自身の自由な生命力など
無いようにさえ思われる。
人の世界でもそうだと思う。生かされるのか、生きるのか。私は後者を取りたい。
書道雑誌≪玄游≫は、このような考えから生まれたものです。
全国に書道雑誌は無数にあり、ほとんどは一流書家によって発行されている。
書道愛好家に一つの指針を与えてくれる。一般的に考えれば、頼りになる雑誌
である。私はこれらの一流誌と肩を並べようなどと思い上がりのために≪玄游≫
を発行するのでは決してない。
むしろ字を書くのではなく≪玄游≫を通して恥をかこうと決心している。
恥をかこうと決心すれば同志は、かなり大胆な活動ができるであろうし、その
中からお互いに自分の力でなにかをつかもうとすることができるる
芸術に流行はないし、流行を追えば芸術でないと思う。≪玄游≫は同志ひとり
ひとりが雑草のごとく地味でもよい、笑われてもよい、泥にまみれても、風雨に
曝されてもよい。とにかく一人で自分の道を歩くことを夢見て一歩でも前進
しようとするものです。
幸いにしまして、金子鷗亭先生を特別顧問としてお迎えでき、その上題字の
ご揮毫を賜り玉作を掲載させていただきましたこと、誌上をもちまして衷心
より厚くお礼申し上げます。
これからは玄游誌を一つの研究の場とし創玄書道会の一団体として、毎日展
・創玄展を中心に作品発表をしていくことを祈念しているねのであります。
なにとぞ、私の本意をご推察下さいまして倍旧のご愛顧とお引き立てを賜り
ますようお願い申し上げます。